それはリバティ・ベルから始まった
現在のものに近い、モダンな形をしたスロットマシーンの登場は、1894年にまで遡ります。そう、それはあの伝説的なリバティ・ベルの登場によって始まったのです。サンフランシスコにいた車の整備士、チャールズ・フェイが開発したこのスロットマシーンは、きちんとした機能として、最初に自動で払い出しをおこなったスロットマシーンといわれています。その3つの回転輪、いわゆるリールの導入により、その後のスロットマシーンの雛形となった画期的なマシーンが、このリバティ・ベルなのです。現在でもこのスロットマシーンの元祖は、ネバダ州の古いレストランやバーなどで見かけることができるといいます。
カジノのスロットマシーン
当初はレストランやバーに置かれていたスロットマシーンでしたが、第二次大戦後、ラス・ベガスがカジノの都として発展すると、そのカジノ内で遊ばれるゲームとしてスロットマシーンは発展をしていきます。とりわけ、その発展に貢献したゲームメーカーが、シカゴに本拠地を置くバリー・マニファクチャリングでした。元々はピンボールメーカーとして知られていた彼らでしたが、1963年にシカゴのあるイリノイ州がそれまで禁じられていたギャンブルマシーンの製造を解禁したことを機に、スロットマシーンの開発に乗り出します。最新のエレクトロニクスと従来のメカトロニクスを融合した、いわゆる「エレクトロメカニカルマシーン」を開発した彼らは、まさしくスロットマシーンの中興の祖、といっていいでしょう。コインを投入するごとに、ペイラインが増えるシステムを最初に導入したのも彼らでした。
日本におけるスロットマシーンの発展
日本ではカジノが違法だったため、海外とは別な形で、スロットマシーンは独自の発展を果たしました。そう、スロットマシーンは、日本でもっともメジャーなギャンブルの1つ、パチンコの亜種として発展を遂げていくのです。パチンコ店の片隅で細々と遊ばれていたスロットマシーンが、パチンコと同等の人気を獲得したのが1990年代。いわゆる4号機と呼ばれるスロットが登場してからです。「ジャグラー」シリーズのような人気機種が登場し、そして2000年にAT機と呼ばれる射幸性の高いスロットマシーンが登場することで、スロット人気はピークを迎えます。しかし行き過ぎた射幸性が問題になり、徐々に規制が強化。スロットのブームは、こうして終息を迎えることになるのです。
スロットの未来を担うオンラインスロットゲーム
インターネットの登場、そしてWiFi環境の整備に伴い、人々の生活は大きく様変わりしました。あらゆることがインターネット上でおこなわれるようになり、そしてそれはギャンブルも同様です。オンラインカジノ用のゲーム開発を最初におこなったといわれるマイクロゲーミング社が設立されたのは1994年になりますが、それから20年も経たないうちに、オンラインカジノの存在は世界中に広まりました。マイクロゲーミング社以外にも本当に多くのゲーム会社が登場し、彼らは新しいスロットゲームを開発すべく日々競い合っています。彼らの激しい競争の上に、現在のオンラインカジノ業界の盛況があるのです。